純烈の結成経緯は?メンバーの脱退・加入と紅白までの道のりを調査

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はじめに

「スーパー銭湯アイドル」として独自の地位を確立し、7年連続で紅白歌合戦に出場している純烈。平均年齢40代という異色のアイドルグループが、どのようにして結成され、紅白出場までたどり着いたのか。そして、メンバーの変遷を経て現在に至るまでの道のりを、詳しく見ていきましょう。

結成のきっかけ

2007年、リーダーの酒井一圭は映画『クラッシャーカズヨシ』の撮影中に事故で入院。役者生命の危機を感じていた時期に、幾度となく夢の中に「内山田洋とクールファイブ」が現れました。これを何らかの啓示と受け止めた酒井は、ムード歌謡コーラスグループの結成を決意します。

白川裕二郎と小田井涼平を「紅白歌合戦を目指そう!親孝行しよう!」という言葉で誘い、さらに林田達也、友井雄亮、後上翔太を加えて6人編成でスタート。メンバーの経歴は実に多彩でした。酒井は元子役で戦隊ヒーロー出身、白川は元力士、小田井は元会社員とモデル、友井は元ジャニーズJr.、林田はロックバンドのボーカル、最年少の後上は東京理科大学を中退というように、それぞれが異なるバックグラウンドを持っていました。

純烈の結成は、まさに運命的な出来事だったと言えます。酒井さんの事故という危機が、新たな可能性を開いた。人生の転機は、思わぬところにあるものですね。

デビューから下積み時代へ

グループ名の「純烈」には、純粋かつ強く正しく、節操や分別があるグループを目指すという願いが込められていました。約3年に及ぶボイストレーニングと下積み期間を経て、2010年6月23日、ユニバーサルミュージックから「涙の銀座線」でメジャーデビュー。しかし、2012年にレコード会社との契約が打ち切られるという試練に直面します。

この時期、歌える場所を求めて、老舗キャバレーや健康センター、スーパー銭湯などで地道な営業活動を続けました。あるスーパー銭湯からのイベント出演依頼をきっかけに、次第に各地のスーパー銭湯から声がかかるようになり、「スーパー銭湯アイドル」としての独自のポジションを確立していきました。

デビュー後の苦労は、かえって純烈の個性を引き出すきっかけとなりました。スーパー銭湯という独自の活動拠点を見出し、ファンとの距離の近さを武器にした戦略は、見事な転換だったと思います。

紅白出場までの道のり

地道な活動の積み重ね

2013年に日本クラウンへの移籍後、純烈は着実にその活動基盤を固めていきます。2014年には札幌観光大使に就任し、新歌舞伎座での前川清座長公演に参加するなど、活動の幅を広げていきました。

2015年には、念願であった「NHK歌謡コンサート」に初出演を果たし、2ヶ月連続の出場という快挙を達成。同年の年間ステージ数は200を超え、浅草公会堂での単独ライブも開催するなど、着実にファン層を拡大していきました。

ブレイクの兆し

2016年、7枚目のシングル「幸福あそび・愛をありがとう」が、オリコン演歌・歌謡曲ウィークリーチャートで、結成以来初めての第1位を獲得。続く2017年には8枚目のシングル「愛でしばりたい」がオリコンデイリーCDシングルチャート1位を記録し、純烈の知名度は急速に高まっていきました。

紅白初出場へ

2018年、転機となる出来事が続きます。1月には初の冠歌番組「クラブ『純烈』へようこそ!」がCS日テレプラスにて放送開始。9枚目のシングル「プロポーズ」は部門別チャートで3作品連続の初登場1位を獲得し、9月には同曲が純烈として初のゴールドディスク認定を受けました。

そして12月30日、ついに『第69回NHK紅白歌合戦』への初出場を果たします。披露曲「プロポーズ」で、結成時からの夢であった紅白のステージに立った純烈。感動的なことに、紅白終了後すぐに、草加・厚木・座間の3ヶ所の健康センターを回り、待ち構えるファンの前で深夜の凱旋ライブを行うという粋な計らいを見せました。

紅白連続出場への道

初出場後も純烈の勢いは続きます。2019年は新曲「純烈のハッピーバースデー」がオリコンウィークリー総合チャート3位を獲得。年間450ステージを超える精力的な活動を展開し、2回目の紅白出場を果たしました。

2020年はコロナ禍での活動を余儀なくされましたが、初の純烈主演ドラマの公開やテレビ出演など活躍の幅を広げ、3年連続の出場を達成。特に、この年の紅白では初の無観客開催となりましたが、「リモート握手」という視聴者参加型の演出を導入し、話題を呼びました。

紅白初出場までの道のりは、まさに純烈の真骨頂を見せるものでした。スーパー銭湯での地道な活動を継続しながら、着実にファン層を広げ、テレビ出演や音楽チャートでの実績を重ねていく。そして初出場後も、深夜に健康センターでファンに感謝を伝えるという”純烈らしさ”を忘れない姿勢に、このグループの本質を見る思いがします。

メンバーの変遷と試練

2016年、メンバーの林田達也が体調不良の両親をサポートするため、12月31日をもってグループを脱退。介護離職という形でのメンバー減少は、グループに大きな影響を与えました。

2019年には、さらなる試練が訪れます。1月11日、友井雄亮が不祥事により脱退し、芸能界からも引退。この件について、15日にメンバー4人が謝罪会見を行いました。しかし、この危機を乗り越え、むしろグループの結束は強まっていきました。

2022年4月1日、小田井涼平が年内限りでの卒業を発表。そして9月1日、新メンバーとして岩永洋昭の加入が発表され、現在の4人体制となりました。岩永は「スーパー戦闘 純烈ジャー」にもザウナ役として出演していた縁もあり、スムーズな加入となりました。

しかし2024年6月には、岩永洋昭が2025年3月末での卒業を発表。純烈は再び新たな転換期を迎えようとしています。

メンバーの変遷は、グループにとって大きな試練でしたが、その都度、ファンの支えもあり乗り越えてきました。危機に直面しても、誠実に向き合い、前を向く姿勢が、多くの支持を集めている理由なのでしょう。

現在の活動と今後の展開

2024年は、過去最速で3月から全国ツアーをスタート。全国の文化会館でのコンサートと並行して、スーパー銭湯などの温浴施設でのライブも継続しており、過去最大の公演数となることが予想されています。

2024年4月には、給湯器取替専門店「正直屋」と雪印メグミルク「ゴクうまボトル」のイメージキャラクターに就任。5月からはファッションセンターしまむらとのスペシャルコラボレーション企画もスタートするなど、活動の幅をさらに広げています。

また、2025年1月と2月には座長公演も予定されており、純烈初の2ヶ月連続の座長公演という新たな挑戦も控えています。

変化を恐れず、常に新しいことにチャレンジし続ける純烈の姿勢は、グループの大きな魅力です。スーパー銭湯アイドルという独自のポジションを確立しながらも、活動の幅を広げ続ける柔軟性が、長く支持され続ける理由なのでしょう。

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